人物

宇津木麗華の国籍は日本!苗字は恩師から!宇津木紗子の娘で養女!

 

東京オリンピック2020の日本女子ソフトボールチームがアメリカに2-0で勝利し、金メダルを獲得しました!

北京オリンピックから13年ぶりの優勝という快挙を成し遂げました!

本当におめでとうございます!

その女子ソフトボール監督である宇津木麗華監督の喋りが気になって国籍が知りたくなった人もいるのではないでしょうか?

また以前女子ソフトボールの監督を務めた宇津木妙子さんとの関係も気になります!

 

そこで、今回まとめた内容はこちら。

・宇津木麗華の国籍は日本!

・宇津木麗華の苗字は恩師から!

・宇津木麗華は宇津木妙子の娘で養女!

それではさっそく本題に入っていきましょう!

Contents

宇津木麗華の国籍は日本!

女子ソフトボール日本代表の監督である宇津木麗華さんの国籍は日本です。

宇津木麗華監督は1995年の32歳の時に日本国籍を取得し、日本に帰化しました。

宇津木麗華監督の生まれは中国ですが、現在は帰化しており、国籍は日本となっています!




宇津木麗華の苗字は恩師の宇津木妙子から!

宇津木麗華監督の苗字恩師である宇津木妙子さんからもらいました。

13年前のオリンピックで金メダルを獲得した時の元女子ソフトボール日本代表の監督をしていた宇津木妙子さんです。

1998年に宇津木妙子さんがソフトボールの監督を務めていた日立高崎(現ビッグカメラ高崎)に宇津木麗華さんが選手として加入しました。

宇津木妙子さんを慕っているので、苗字は「宇津木」を名乗っているそうです。

そして、名前は、両親からもらった名前である人彦麗(ニン・エンリ)の「麗」という文字を使って麗華と名乗っています。

その苗字と名前を合わせて「宇津木麗華」と名乗っています。

 

苗字を同じにしたいほど、宇津木妙子さんを慕っていたので、びっくりしたかもしれませんが、それ以上に宇津木妙子さんは嬉しかっただろうと思います。

自分が指導した選手が同じ苗字にしたいと言って、国籍も変えて帰化したいと言ってもらえるなんて監督として嬉しい限りですね。




宇津木麗華は宇津木妙子の娘で養女!

宇津木麗華監督は、元女子ソフトボール日本代表監督である宇津木妙子さんの娘で養女です。

なぜ宇津木妙子さんの養女になったのか、簡単に経歴をみていきたいと思います。

 

宇津木麗華監督は3番目の末っ子として中国で生まれ、生真面目な軍人の父親から厳しい教育を受けて育ちました。

スポーツ好きの父親の影響で小学校時代と中学校時代は陸上競技のやり投げをしていましたが、14歳の時にソフトボールを始めました。

 

ソフトボールに転向して約1年後、宇津木妙子さんと出会うことになります。

その後も宇津木妙子さんと交流が続き、25歳になった1988年に宇津木妙子さんを頼って宇津木麗華さんが来日しました。

 

宇津木妙子さんが監督を務めていたビッグカメラの前身・日立高崎に入団し、チームが2部から1部に上がる原動力となり、1994年ソフトボールの日本リーグで三冠王を達成しました。

宇津木麗華さんが32歳になった1955年に日本に帰化し、宇津木妙子さんから日本名の「宇津木」の姓をもらい、宇津木妙子さんの養女となりました

元軍人の父親からは反対されていた

宇津木麗華監督の父親は元軍人で少なからず反日感情もあり、日本人に帰化することを反対されていました。

しかし、最終的には、養女になることを受け入れた宇津木妙子さんの説得により、父親が受け入れて承諾した秘話もあるようです。

宇津木麗華監督の強い思いと、宇津木妙子さんに向けられた親しみの強さを感じますね。

この強い思いがあったからこそ、宇津木麗華監督が女子ソフトボール日本代表の監督として成果を出すことができたのかもしてませんね。

まとめ

今回は、「宇津木麗華の国籍は日本!苗字は恩師から!宇津木妙子の娘で養女!」と題して、

上野選手率いる東京オリンピック女子ソフトボール日本代表の監督を務め上げ、見事チームを金メダルに導いた宇津木麗華監督。

宇津木麗華監督は、宇津木妙子さんを慕い、ソフトボールに対しても熱心であることがとても感じられました。

そんな宇津木麗華監督だったからこそ、13年ぶりの女子ソフトボール日本代表が金メダルを獲得することに至ったのだと思いました。

宇津木妙子さんは、宇津木麗華監督を養女とすることで、日本国籍を取得できたので大好きなソフトボールを続けることができて良かったですね!

苗字も「宇津木」にした理由も納得でしたね。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。